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    林 寿美(成安造形大学客員教授/インディペンデント・キュレーター)

2021.12.15セイアンアーツアテンション14「Re: Home」展覧会レビュー
林 寿美(成安造形大学客員教授/インディペンデント・キュレーター)

Re:Home –「家」をめぐって

 

 

2019年の冬から2年以上も続くコロナ禍——世界規模でウィルスが感染拡大と沈静を繰り返し、その収束の兆しはいまだ見えないが、私たちの暮らし方や価値観はドラスティックに変わりつつある。なかでも、「仕事」と「家」の概念は根底から覆ったといえよう。仕事は職場で行うものという常識はあっけなく崩れ、どこにいても働けるように(あるいは“働かざるをえなく”)なった。ゆえに、時間の使い方も変化した。会社勤めの人は通勤時間が不要になって、朝、家事をこなす余裕ができたし、取引先への移動時間を電話やオンラインでの営業活動に割いて、成績をぐんと上げたサラリーマンがいるともいう。つまり、声高に改革を叫ばずとも、拘束時間と引き替えに提供する受動的な労働(labor)の価値は下がり、成果を出すために能動的に取り組む仕事(work)が評価されるようになったのである。偶然にも、それは、デザイン思考やアート思考がもてはやされ、ビジネスもクリエイティヴにと謳われるようになった時代の流れと連動している。

 では、「家」の在り方はどうなったのだろう。寝て食べて休息するための空間、家族や親しい人と過ごす場所というだけでなく、時にはオフィスになり、そこからオンラインで会議やイベントに参加できるようにもなった。ほとんどの人がそれだけの長時間を「家」で過ごしている。なかには、同一空間を複数の目的で使うことになったため、公私の切り替えができないと嘆く人がいるかもしれない。だが実際には、公私という区別そのものが意味をなさなくなり、今や「家」という場所に集約された個人のあらゆる活動や行為が渾然と一体となって、自己を形成する大きな要素になろうとしている。

 

AKI INOMATA(1983- )の《girl. girl. girl...》は、こうして「家」の概念が変容した今こそ、より多義的な見方ができるインスタレーションである。トルソ、ショーケース、ハンガーラック、鏡などが配された展示室はまるでブティックのようで、最初はトルソに着せられた衣服に目が行くが、本作の主役はそれらのそばに置かれたショーケース内部の小さなミノ。枯れ葉や小枝ではなくカラフルな布でできたミノは衣装にも見えるが、トルソが纏っているのと同じ衣服の端切れからミノムシが実際に作った、越冬するための自らの巣、すなわち「家」そのものである。こうして、ミノムシと同じサイズになって一体化した「家」は、住人を守り絶対的な安全を保障する一方で、彼らを外界から隔離し、他者の介入を拒絶する。完璧な自己充足をもたらす我が家。だがそこには落とし穴がある。閉ざされた「家」は、じわじわと自己を破壊し、形骸化していく宿命にある。外観の華やかさも、過ぎれば虚飾と化して中身の不在を問うだろう。「家」から出ることのできない住人は、社会での成功ではなく、内面的な進化を遂げねばならない。小さなミノは沈黙したまま、そう物語る。

 

ギャラリーアートサイト |AKI INOMATA

《girl,girl,girl...》|ミノムシ、服地|250×190×70cm|衣装協力:UN3D|2019

 

 ひとが身に纏うものは、本来、飾ることと守ること、ふたつの機能を兼ね備えている。だが、岩﨑萌森(1999- )の〈織 編 結〉シリーズは、衣服のかたちをとりながらも、人間の身体を支持体に表現された立体造形物と呼ぶにふさわしい。コロナ禍で大学構内の大型織機を使えないという逆境のもと、作家自らが六角形の木枠機を考案し、経糸としての麻糸を交差させながら三方向に張り、それぞれに、帯状に裁断したポリエステル製のパンチカーペットを緯糸にして渡すことで、折り重なるように立体的に布地を織り上げ、さらにそれを裁断も縫製もせずに編んだり結んだりするという独自の手法で仕上げている。作り手の意匠を控え、技法をそのまま露わにしながら、作品の自然発生的な成り立ちを重んじるという岩﨑の姿勢が、それを自立した存在へと導くのだろう。ひとを飾り、守るという機能を越え、ひとに寄り添いつつも、自由に育っていくかのような生命力をそなえている。

 

ギャラリーウインドウ|岩﨑 萌森

《織 編 結 反と角》|ポリエステル、麻|158×60×50cm(ボディ着用時)|2021

 

 ふなだかよ(1979- )と松井沙都子(1981- )の“同居”は、対照的なスタイルをとりながら、家族や団欒といった「家」を家たらしめているものの裏側に潜む真実を直截的に伝えてくれる。母と娘の相互依存に着目するふなだは、娘と母、双方の視座に基づく写真を出品している。花瓶に活けた大量の花をクローズアップにした〈for you〉シリーズでは、丹精して育てた庭の紫陽花やマーガレットを惜しげもなく差し出す母親の無償の愛を享受し、かたや、皿からこぼれ落ちるほどの大量のサラダやカレーライスをとらえた〈Mt. love〉シリーズには、文字どおり山盛りの愛情を欲しがってやまない子の執着心を投影している。これらの作品を前にした私たちは、家族間の愛情は無条件に美しく尊いものではなく、愚かさや滑稽さを内包しているという事実から目を背けることができない。一方、子供を産んで、娘から母になった作家は、子育てのために自分が使った時間やその時の記憶が瞬時に過ぎ去ってしまうことへの不安を〈fall〉シリーズで表現した。母親に向けた娘の視点(〈for you〉〈Mt. love〉)が静止しているのに対し、子供への母のまなざし(〈fall〉)が動的であることは、依存し合う両者の決定的な差異を端的に示しているだろう。家族とは、最も身近で最も遠い存在なのである。

 

ライトギャラリー|ふなだ かよ

左手《for you》シリーズ|インクジェットプリント、ラミネート加工|103.2×145.2cm|2021

右手《Mt.love》シリーズ|インクジェットプリント、ラミネート加工|103×145.6cm|2021

 

ライトギャラリー|ふなだ かよ

《fall》シリーズ| インクジェットプリント、ラミネート加工、アルミボードマウント|2021

 

 松井沙都子が手がけるのは、ミニマルながらもどこか温かみのある「家」の景色である。ただし、それは、壁や床といった家の要素が抽象化されて再構成された風景であり、けっして見慣れたものではない。照明器具の柔らかな灯りが人の気配を感じさせても、生活の匂いは一切ない。入り込む余地のないこの「家」を眺めていると、こちらから遠ざかっていくようにすら感じられる。作家はその現実とのズレや違和感を住宅展示場のモデル・ルームに重ねるが、住まいから住人を排除するだけでなく、機能を取り払って客体化することで、暮らしの痕跡や影を可視化せぬまま、そこに固着しようと試みているように思える。

 

ライトギャラリー|松井 沙都子

《ホーム・インテリア》(床・照明器具)|木材、カーペット、照明器具|サイズ可変|2021

 

 「僕が今描いているもの、営んでいることは、忘却されていく〈家〉の風景でもある」。そう語る岩名泰岳(1987- )は、過疎化が進み、市町村合併によって消滅してしまった自身の故郷、島ヶ原村(三重県)を広義の「家」ととらえ、そこにしまい込まれた記憶を絵画に変換する仕事を続けている。柔らかな色調で彩られた画面は、どれも具象的なイメージを持たないものの、リリカルでつい触れたくなるような絵肌を誇る。それはいわば、自然豊かな集落で感じる空気や、ゆったりとした時間の流れ、ひとの素朴さ、古くから伝わる慣習やしきたりなど、目に見えないがたしかにそこに存在するものを色やかたちに置き換えたものであり、そこで育ち、今なおそこで暮らす作家にしか見えない原風景であるにちがいない。しかしそれは、たんなる過去の記録ではない。岩名が描き出す絵画は、その風景を共通言語にして、過去・現在・未来のひととひとをつなぐ道標にもなる。「家」としての村は、そのなかで受け継がれ、生まれ変わることを繰り返すのだろう。

 

ギャラリーキューブ|岩名 泰岳|会場風景

 

ギャラリーキューブ|岩名 泰岳|《蜜の木》関連資料

 

かつて「家」は、私たち人間の内と外をわける境界であった。そしてこの災禍が過ぎ去った後、「家」はどのようなものになっているのか。その内側で何が起こったのか。外の世界とはどうつき合うのか。新しい時代の輪郭は、ようやくうっすらと姿を現し始めたばかりである。

 

 

林寿美(成安造形大学客員教授/インディペンデント・キュレーター)

(2021.12.13)

 
会場撮影|守屋 友樹
 
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