大学の頃、十年間京都に住んでいた。侍たちの骨がアスファルトの下に埋め込まれていることが毎日ビシビシと感じられた。その上をトラックが牛を乗せ、走って行く。湿度、野生的な自然、お金とお酒とロゴが飛び交う現代都市の中に点在する、茶色い神社仏閣、大仏や観音を身近に感じた。そこで仏像の授業を選択し、日本の色々なところにある貴重な仏像を一時期濃密に見る事ができたことは、制作を始めた時期と重なり、強い影響を受けた。ビル群に囲まれた現代社会に、昔の人が真剣に作ったであろう(実際話したことがないのでわからないが危機せまる異様な濃度と本気さを感じる)情念溢れるねっちりとした仏像たちが混在していることは、今も生理的関心事である。
森 千裕は、独特のセンスで日常的な言葉や物を組み合わせることで、奇想天外である種コミカルな作品を作り出す。社会のヒエラルキーを覆し、様々な事柄の目に見えない関係を明らかにするその手法は、既製品で構成された立体作品、水彩や墨絵画作品、ドローイング、言葉の組み合わせ、写真、本など多岐に渡る。
本展では、成安造形大学のギャラリーアートサイトと三井寺に、自作の作品の中からテーマに沿った作品を選び、新作を加えたインスタレーションを発表する。《六大学の墓》は社会的なブランドやヒエラルキーの無化を試み、《半分人間図》では二つに引き裂かれた自己を表現する。《アーバン観音(バイト)》ではアルバイトのバーテンダーが限度を超えた多忙さのため千手観音と化し、《サウナ仏壇(フルーツ)》では猫型仏像が、《Ken Takakura仏》では高倉健が仏として高級ウィスキー箱の中に鎮座する。《Eternal Itching(赤い夜間)》では「NHK」と「個人」が対比されつつスポーツ系ロゴがコンサート風景に被る。このように独特な世界観や状況の中で、多様な神が出現するのだ。