
人は誰かと一緒に食事をすると、食べ物をよりおいしく感じるという。食事は栄養を取るだけでなく、共に食事をする中で食事のマナーを学び、人間関係を築き、地域の郷土食を知り、食文化の継承が行われる場だ。だが、コロナ禍以降、感染症対策のため「共食」を避け、「個食」や「孤食」、「黙食」が注目された。また、現代社会においては、核家族化や共働き世帯、単身世帯の増加によって「共に食べる」機会は減っている。いま、「食」はつながりのない営みになりつつある。
本展「共食-Eating Together-」は、リサーチとイラストレーション、写真、陶芸、グッズ、現代美術の表現を通じて「食」を考察する展覧会である。食をテーマにした展覧会は数多く開催されているが、本展の特色は「共食」のコミュニティやコミュニケーションを軸に、「食」を考察する点にある。居住と食事が「単身」でなされる現代において、「食とコミュニティ」はどのように関わるのか、共食のテーマから作品を見た時、どのような食の光景が見えるのか、以下では6名(組)の展示を振り返ってみたい。
食と共同体(コミュニティ)との関わりは深い。日本では「直会(なおらい)」という食文化がある。直会とは、お祭りの後に神様に捧げたお供物を参列者で共に食べる儀式である。神と人が共に食す「神人共食」を意味する直会は、共同体の結束を強める役割を担っていた。
成安造形大学に隣接する仰木地域は直会の伝統が今も生きる。仰木は比叡山の山麓に沿って民家と棚田が広がる1300年続く農村集落だ。
この仰木地域をフィールドワークし、研究を重ねてきた研究者の大原歩とイラストレーターのてらいまきは、「食と仰木地域(コミュニティ)」をテーマに、大原の研究調査とてらいのイラストでコラボレーションした展示を2会場で行った。近江の歴史や文化に精通した大原のリサーチとてらいの食べ物の風味や食感などの特徴を分かりやすく伝える漫画の組み合わせは、仰木を初めて知る鑑賞者にとって飲み込みやすい展示だった。
バスストップギャラリーでは、仰木集落に伝わる《ハレの日のごちそう》(2024)と仰木で実施されたアンケート「食の風景の記憶」を鳥瞰図にまとめた《仰木鳥瞰絵図+食の風景の記憶》(2024)が展示された。
てらいの《ハレの日のごちそう》では、ハレの日に食べられる料理が描かれる。5月3日の仰木祭りで食べるひねどりのじゅんじゅん(すき焼き)、12月に1年の収穫を祝う「スノウ(収納)」の行事で振る舞われる納豆餅、お頭付きのフナ寿司などさまざまな料理が並ぶ。すき焼き鍋から立ち上がる湯気や納豆餅の柔らかい感触など、料理の特徴を伝える線と色彩、吹き出しのセリフは郷土食の風味を五感で伝え、食卓を一緒に囲むような暖かさがある。
大原の《仰木鳥瞰絵図+食の風景の記憶》は、2011年に成安造形大学附属近江学研究所が実施した「なつかしいわが町・ふるさとの五感体験」から「食にまつわる記憶」を抜粋して、地図上に配置した鳥瞰図だ。おやつに食べたさつまいも、軒下に干してあった干し柿、井戸水で冷やしたスイカなど、風景のなかに潜む食の集合的な記憶が浮かび上がる。
スパイラルギャラリーでは、てらいのイラスト、大原のテキストと写真によるパネルを組み合わせ、仰木地域の直会にまつわる食文化を紹介する。
仰木の盆行事を紹介する大原のリサーチポイントパネルでは、仰木地域で8月に行われるお盆行事が解説され、仰木で今も受け継がれている伝統行事を知ることができる。
平尾地区に居住する天台宗の壇家の盆棚を描いたてらいの《お精霊さんへの盆棚》(2024)では、お供え物と住民に取材したお盆のエピソードが描かれる。お盆の意義は里帰りしたご先祖様と一緒に「共食」することなのだと気づかされる。
また、《仰木の食材を使ったおいしいお店たち》(2024)では、仰木地域に近年新しくできた店舗を紹介し、《リサーチポイントパネル「つながる・ひろがる・仰木の食」》では、棚田の保全活動など、食の伝統を未来につなげる取り組みを取材するなど、地域の未来へも視線は向く。
バスストップギャラリー|てらいまき《ハレの日のごちそう》2024|プロクリエイト、フォトショップ|1800×4536mm
バスストップギャラリー|大原歩《仰木鳥瞰絵図+食の風景の記憶》2024|1070×1490mm
スパイラルギャラリー|大原歩、てらいまき
福島あつしは、10年間に渡って高齢者専用のお弁当屋の配達員として勤務しながら独居老人を撮影した《ぼくは独り暮らしの老人に弁当を運ぶ》(2014-2018)、農業従事者として働きながら収穫の様子を撮影した《Haramita Harvest》(2024)を展示した。いずれもカメラでお弁当の配達、食べ物の収穫という食の生産、流通の現場を記録した写真だ。
《ぼくは独り暮らしの老人に弁当を運ぶ》に映る独居老人たちの食の風景は衝撃的だ。ゴミ屋敷と化した室内、寝転んで食べる老人たちの姿はけっして「おいしい」食事風景には見えない。その理由は、鑑賞者である私たちの未来の姿を見てしまうからだろうか。
だが、福島の写真は食の配達から束の間生まれるコミュニケーションを映し出す。独居老人というと、孤独や寂しさばかりが強調されるが、両手を顔に添えた笑顔、カメラを向ける人など写真からは、弁当を届けた者だけが共有できる親密な距離感や温度がある。
一方、《Haramita Harvest》は、真夏の農作物の収穫を撮影した正方形の写真が壁面に縦7、横13列に配置された写真だ。本作で福島は農業のもつスローライフな田舎暮らしというステレオタイプとは異なる姿を示す。正方形の画面に接写された夏の厳しい日差しのなか収穫する人々の汗や苦悶の表情、疲労感から収穫の過酷さが伝わってくる。また、畑の中にいるのは人だけではない。じゃがいもやミニトマト、スイカから、牛やミミズなど、さまざまな植物や生物が畑に共生している。野菜の中には、スーパーマーケットで見るきれいな食べ物とは異なり、傷みや虫に食べられてしまったものもあり、自然環境の過酷さが伝わる。
福島は2018年に友人の誘いを受けて農業を始めたが、想像を超えた厳しい労働だったという。豪雨や日照り、動物や昆虫、菌、植物が畑を喰い荒らすなど、自然に翻弄される現実に直面し、自身も「自然」の一部であることを痛感させられたという。
福島の2作の写真は、「老い」や「自然」という人間の管理から逸脱した生態を捉える。《Haramita Harvest》を鑑賞後に《ぼくは独り暮らしの老人に弁当を運ぶ》を見ると、独居老人たちの姿に畑で育つ野菜の姿が重なり、老いもまた「自然」なのだと気づく。そこには、私たちが知らなかった生々しくも自然な「食」の風景があった。
ライトギャラリー|福島あつし《ぼくは独り暮らしの老人に弁当を運ぶ》2014—2018|発色現像式印画、木製額|355×440mm
ライトギャラリー|福島あつし《Haramita Harvest》2014|発色現像式印画|296×254mm
料理にはコミュニティのアイデンティティがある。食品には産地や生産者の表記があり、料理名には日本料理やイタリア料理、中華料理など国名を関したものがある。ユネスコの無形文化遺産にはフランスの美食術、日本の和食や韓国のキムジャン(キムチ作り)、ウクライナのボルシチなどがあるように、食文化は地域や各国の文化と結びついている。
永田康祐の《Translation Zone》(2019)は、同じ料理が国によって異なる食文化になる違いを翻訳という切り口で考察する映像作品だ。
映像は、アーティスト自身が淡々と料理を行う映像に、英語のナレーションを重ねた構成で進む。冒頭は文化人類学者レヴィ・ストロースの「料理の三角形」から蒸したもの、煮たもの、燻製にしたものの関係を紐解く。続いて、湯煎器で肉をミディアムレアに温めた後に急冷し、バーナーで表面だけ焼き目をつけるローストしないローストビーフなどの分子調理が語られる。科学的なテクノロジーによって伝統的レシピを本来とは異なる形式に変換・翻訳する料理法の背後には民族的差異を自由に行き来する「グローバル言語」への欲望がある。例えば、チャーハンやコムチェン、ナシゴレンなど別々の文化で生まれた類似の料理が英語に翻訳するとfried riceと翻訳される例が挙げられる。
テクノロジーによる調理は、誰もが各国の料理を再現できるメリットがある。一方、背後にある地理性や歴史的背景は切り落とされてしまう。本作の後半では様々な国や民族から影響を受けたシンガポール料理の由来をたどりながら、多文化の混淆による食文化の創造が明かされる。
また、「翻訳」のズレは本作の構成にも反映されている。料理番組のように肉や野菜などの具材を切り分け、流れるように作業していく映像には、スマートフォンの画像、シンガポールの都市や飲食店の映像が挟まれ、調理を見ることを中断させる。一方、ナレーションは、レシピの説明はなく、文化人類学や言語論、シンガポールの近現代史などの語りであり、映像とナレーションの言葉は乖離している。そして、日本人アーティストが各国の料理を調理し続ける本作の「料理」とは何料理なのか。食文化に潜む複雑な味わいをもたらす。
ギャラリーウインドウ|永田康祐《Translation Zone》2019|映像|27min23sec
焼き物は土地との共作である。会場中央には信楽の陶土で作られた《おやつ》(2024)が1000個整然と並ぶ。ドーナツに三角形のサンドイッチ、ホットケーキ、カヌレ、パンのようなかたちは、おやつのように小さく愛らしい。食べ物と焼き物は素材や用途も異なるが、どちらも「やきもの」という共通性がある。
一方、奥まった小部屋には信楽焼の壷《蹲(うずくまる)》(2024)が100個展示される。電球一つが灯る薄暗い空間のなかに赤色や土色をした壷たちは、まるで兵馬俑のようだ。その連想は場違いとも言えない。もともと「蹲」は人がしゃがみ込んだ姿のように見えるところから名付けられたからだ。信楽では種壷や油壷として使われていたが、後に茶人が花入に用いるようになったという。人がうずくまる姿に見立てた壷を花入に用いる転用は、機能や用途よりも聖性や祈りが込められた奉納物のようだ。
谷はこれまで、14〜15世紀頃(室町時代)に作られた古信楽の信楽焼の技法を探究し、制作してきた。その理由は、古信楽には他の時代にはない優れた技術と奉納の美意識を感じたためだという。
だが、谷の焼き物は神聖で近づきがたい存在ではない。おやつの丸や三角、四角のユーモラスなかたちは、壁面のよしだとたかだのレジャーシートのかたちと呼応する楽しさがある。
また、谷の展示空間は整列と密集、明るさと薄暗さの対比にある。鑑賞者が食べ物のような「おやつ」を見ようとうずくまる姿は、《蹲》の展示室と対をなし、かつて神仏に奉納を捧げた中世の人々の姿と重なる。そして、1000個のおやつと100個の壺が整列、密集する展示は、仰木のお盆行事に供えられるお供物の配置を連想させる。では、なぜ1000や100という数量が必要なのだろうか。それは、物量によって「時間」を表すためではないか。供物の配置が時間をかけて積み重ねられてきたように、谷は古信楽を通じて、人類が食や祈りに費やしてきた時間の厚みを体感させるのだ。
ピクニックでレジャーシートを広げたように、壁一面に色とりどりのレジャーシートが広がる。レジャーシートの丸や三角、ストライプの図形的なパターンはテキスタイルや国旗を見るようだ。
レジャーシートは、屋外で座るために地面に敷いて座るための商品である。機能性と同時にデザイン性があり、コミュニケーションを生むツールでもある。
このレジャーシートに着目し、作品へと展開したのは、アーティストの吉田周平と吉田景子(旧姓:高田)によるアートユニット「よしだとたかだ」である。2016年に結成し、既成品を組み合わせたグッズ制作や展示、ワークショップを行ってきた。
本展では、既成品のレジャーシートを丸や三角、四角に切って組み合わせた「レジャーシートのコラージュ」シリーズや《レジャーシートミニモビール》を学内80か所に展示した。会期中は、レジャーシートの端切れを用いたモビールのワークショップも開催され、展覧会には参加者の制作物も交じる。アーティストと参加者が共に作品を作っていくプロセスは、まるで料理のようだ。
よしだとたかだのレジャーシートは、平面作品や実用品としての機能だけでなく、それを利用する人々(コミュニティ)の集合体を暗示させ、ピクニックの光景が浮かぶ。また、レジャーシートやモビールは屋外や空間の影響をうけ、風で揺らいだり、回ったり、時には飛ばされたりもする。レジャーシートは軽くて壊れやすく見えるが、自在に空間や場所を移動できる乗り物のようにも思えてくる。最後にレジャーシートを広げたのはいつだろうか。
ギャラリーアートサイト|谷穹《おやつ》2024|陶
ギャラリーアートサイト|よしだとたかだ《レジャーシートのコラージュNo.621.624.627.628.630-634.637.639.641.642-663》2024|1000×1000mm/6枚、1000×1800mm/14枚、1500×1800mm/13枚
以上、本展の出品作家を振り返ってきた。いずれの作品も「食」だけでなく、仰木の伝統行事や郷土食、独居老人と農業、食文化や翻訳、信楽焼、レジャーシートなど、料理のようにさまざまな素材やテーマが含まれていた。また、作品の背後には、地域の食文化や歴史、素材、他者とのつながりなど、豊かな食文化の光景が見えてくる。
一方で現代の食品は、地域や人から切り離されている。工業的フードシステムのもと、食品は生産、加工、流通する商品となり、食材や料理が持っていた土地や風味の個別性は失われている。かつては、季節や土地、時期、料理人によって、同じ品種でも風味が変わり、その違いが食を味わうことだった。対して、フードシステムの高度な技術はいつでも誰もが美味しいと感じる風味を実現させた。だが、その風味には人や地域の姿は見えない。
いま、私たちは誰とどこで何を食べているのか。料理の味とは、素材がもつ地域性、多彩な具材や調味料を混ぜ合わせることで生まれる。いま、共食をする意味とは、食の背後にある人や地域とのつながりをあじわうことにある。
執筆|平田 剛志 HIRATA Takeshi
美術批評。2004年多摩美術大学美術学部芸術学科卒業。アートウェブマガジンの編集・ライター、京都国立近代美術館研究補佐員を経て、2025年2月より岐阜現代美術館学芸員。
最近の論考は、「光の見立てーー谷内春子「知覚する風景」展」『視覚の現場 第12号』(きょうと視覚文化振興財団、2025)、「採取と培養—古の情報処理としての芸術」『菅原布寿史キュレーション「採取と培養」記録集』(KUNST ARZT、2025)ほか、京都新聞、美術批評誌『REAR』などに寄稿。
会場撮影|守屋 友樹 MORIYA Yuki